生涯学習への取り組み

生涯学習としての西洋美術史研究

 私が西洋美術史の研究を思い立ったのは、事業の経営者である自分に65才を定年にすると決めた引退2~3年前でした。

 事業から引退はするが、人生からはまだ退きたくない、そんな思いが先で、実は何の研究でも良かったのです。マンション住まいで庭いじりはできない。趣味で50年以上キャリアを積んだ声楽の継続は別にして、思いついたのが美術の勉強でした。

 美術といっても、絵を描くわけでも、彫刻を制作するわけでもありません。唯、鑑賞が好きなだけ。海外へ行く度に有名、無名の美術館に足を運んでいましたから、その鑑賞の助けになって、楽しみが増えると考えたのです。

 そうこうしているうちに、多くの美術作品には「謎」のあることがわかりました。誰が、何故、どのような経過で制作し、何を表現しようとしたのか。しかし、そんなことは抜きにして、作品だけを鑑賞すれば良い、という考え方も当然あるでしょう。

 しかし、生来好奇心の旺盛な私は、謎解きが大好き。おまけに、通説の誤りを発見して発表できれば面白いと考え、ワクワクしました。

 そんなわけで、美術史研究にのめり込んだのです。友人の間瀬氏や鳥羽氏によると「何の役にも立たない学問」だそうですが、中流以上の欧米人と付き合うには、美術史と古典音楽の知識は、まさに必須の教養だということも研究の動機でした。

 とは言っても、西洋美術の歴史にうとく、ロマン派と新古典派の区別もつかなかった私です。美術史の教養を深め、同時に当時、一つのミステリーとして関心を持っていた≪ロダンのバルザック≫について研究発表するため、自宅から通学に便利な大阪大学大学院に社会人入学を志しました。

ロダンの≪バルザック記念像≫研究、原点はNY近代美術館

 ロダンの作品に興味を持ったのは、中学時代の教科書で≪考える人≫や≪歩く人≫を見てすごい作家だなと知っていたからです。

 業界の視察や個人旅行でニューヨークに行く度に、メトロポリタン美術館など多くの美術館に足を運んでいました。中でも目に付いたのが近代美術館MoMAの庭園にある≪バルザック記念像≫でした。高さ3Mになんなんとする巨像が、まさに天下を睥睨しています。
BalzacMomA
(写真説明)NY近代美術館MoMAのバルザック

 しかし、パリのロダン美術館には、これと同じ像が庭園にあるものの、屋内には「バルザック」と称する、それぞれ異なった像が複数あり、特に目立つのは、堂々たるお腹を突き出して腕組みする裸体像です。
裸のバルザック
(写真説明)パリ・ロダン美術館屋内展示のバルザック習作

 国内では、県立静岡美術館ロダン館にも「裸のバルザック」がありますが、首がなく、両手で勃起したペニスを握りしめて立っています。
静岡バルザック
(写真説明)県立静岡美術館のバルザック

 この他、東京上野の国立西洋美術館常設展出口には≪バルザック最終習作≫と称する像がありました。後から判明したことですが、この像は「最終習作」でなく、それ以前の習作で、同じものがフィラデルフィア美術館のロダン館にもあります。このことは、西洋美術館のロダン担当のキュレーターにお知らせして、展示が変更されました。
西洋美術館バルザック
(写真説明)国立西洋美術館の「バルザック最終習作?」、頭の後ろにフードが飛び出している。左手に被さるガウンの形状も≪最終習作≫と大きく異なっている。
 
 これも後に判明したことですが、≪バルザック最終習作≫が、わが国で見られるのは、大阪の彫刻の美術館スキュルチュール江坂です。

 わが国でロダンの≪バルザック記念像≫を本来の姿と大きさで見られるのは、箱根彫刻の森美術館です。
箱根
(写真説明)箱根彫刻の森美術館のバルザック像

 いろんな「バルザック」を見た私の混乱にケリを付けてくれたのが、友人が静岡美術館で手に入れてくれた『1898年:ロダンのバルザック』というタイトルの分厚い書物(もちろんフランス語)で、バルザック像誕生100年を記念して開催された特別展のカタログでした。
カタログ
(写真説明)1998年開催、ロダンのバルザック特別展カタログ

カタログを読むため、個人教授でフランス語を勉強

 どうやら、この本はロダンのバルザック誕生の経過と世評に関する論文を複数収録していることは推察できましたが、大学の第二外国語にドイツ語を選んでいた私には、とても読めそうにありません。

 そこで考えたのが、仕事をしながら、フランス語の個人授業を受けることでした。週に一回、会社の近くの語学学校で、このカタログを教材に、特訓してもらい、その成果を毎回、日本語文章化して内容を把握して行きました。

 ここまで、準備を整え、引退と同時に大阪大学文学部大学院に社会人枠で入学しようとしたのです。試験は美術に関する英語の論文の翻訳と、西洋美術、特に彫刻関連の常識でした。

 語学には自信がありましたが、大学生レベルの美術知識に欠ける私は、結局、大学院生ではなく、研究生として入学を許されました。単位が取得できない研究生の身分は、学位にこだわらず、好きな講義だけを聞け、ゼミにも参加でき、かえって研究に好都合でした。

文献の研究から分かった意外な事実

 大阪大学では、ルネサンス、特にミケランジェロの研究で著名な若山映子先生の講義、わが国ゴッホ研究の第一人者圀府寺(こうでら)司先生のゼミに参加し、徐々に美術史研究とは何かを学びました。

 研究とは、どれだけ何かを知っている、あるいは勉強した、ということでなく、新しい知見を見つけることだと、私は信じます。しかもその知見にはエヴィデンス(証拠)が必要です。知識を頭に詰め込むだけでは「勉強」であって「研究」ではありません。また、研究対象の作品に、出来る限り実際に触れることが大切です。

 前記のカタログから主要論文を読んだ後、ロダンに関する先行論文や書物を集め始めました。論文を書くには人の記述の孫引きではなく、一次資料に自ら当たることが必須です。

 通信販売のamazon.comやAbe booksで洋書を検索購入し、大阪大学図書館の司書のお力をかりて、フランスから一次資料を取り寄せました。

 その中に、シャルル・シャンショルが1898年3月19日号のフィガロ紙に掲載した「バルザック像」という評論がありました。

 ≪バルザック記念像≫は前述のように3メートルになんなんとする巨像です。このような巨像は、作家が最終習作を制作し、それを専門の職人が拡大して仕上げます。

 シャンショルの評論には、ロダンがその拡大像に手を加えたさまを彼が実見したことが記されています。

 そこで、パリのロダン美術館の有名なキュレーターのアントワネット・ノルマン=ロマンさんにお願いしてパリ郊外ムードンのロダン美術館を訪れ、最終習作を見せてもらい、記念像との違いを調べることにしました。

 ロダンの≪バルザック記念像≫を右後方からみるとファロス(勃起した男性器)の形に見えることは研究途中で訪れた、箱根彫刻の森美術館、パリのロダン美術館、オルセー美術館で確かめていました。ムードンで見た最終習作と記念像の違い、それは「傾き方」でした。
右側から見たバルザック
(写真説明)パリ・ロダン美術館庭園の≪バルザック記念像≫

 ノルマン=ロマンさんは、この「傾き方」の違いを指摘したのはあなたが初めてだといってくれました。最終習作にくらべて記念像は制作の最終段階で左後方へ約4度傾けられていたのです。≪バルザック記念像≫の堂々とした威厳が、ロダンの最後のタッチで強調されると同時に、右側から見たファロスの形が、よりそそり立つことになったのでした。
ノルマン=ロマンさんと私
(写真説明)ムードンのロダン美術館で、ノルマン=ロマンさんと私

 ロダンの≪バルザック記念像≫がファリック(男根の形)であることに米国や英国の研究者が言及した例は、少数ですが存在します。しかし、ロダン美術館が刊行した前記カタログでは、このことに一切、触れられていません。あからさまに指摘するには、少しはばかられるテーマのようです。

大阪大学から神戸大学へ

 このような経過を経て完成した論文ですが、研究生の私には発表の場がありません。

 神戸大学グリークラブの大先輩で、ご自身日本美術の研究家である横山昭さんの紹介により、カラヴァッジョ研究で有名な神戸大大学院准教授の宮下規矩朗先生の知己を得、神戸大学美術史研究会の会員になるとともに同大学文学部の紀要『美術史論集』に論文を掲載して頂くことができました。

 宮下先生は、ちょうど私の息子の年齢ですが、学問の先輩として教わることが多く、また、とても気が合います。ダリについて書いた第二、第三の論文も、先生の指導を得て『美術史論集』に掲載されました。

学会誌への投稿で悟ったこと