ダリ伝説

「死」と「腐敗」に共通の関心

詩人のロルカ、画家のダリ、お互いへの影響と別離

1920年代末、ダリがパリのシュルレアリストのグループに関心を移すまでを批評家のサントス・トロエーリャはダリの「ロルカ時代」と呼んでいます。二人の天才は芸術に関して共通の感性を持ち、意見交換を行いました。ダリが美術学校を放校され<学生館>を退去した後も頻繁な文通と交流交流を続けています。

ロルカとダリはお互いを聖セバスチャンに例え、スケッチを交換しました。ロルカは「死と腐敗」に異常な関心を抱いていました。その関心から生まれた作品が、1927年頃に集中しています。≪セニシタス、小さな遺骸≫、≪血は蜜より甘し≫などの作品やスケッチです。切断されたロルカとダリとダリの頭や手、ビーナスの胴体、腐敗したロバ、男根などがその中に描かれています。

≪セニシタス、小さな遺骸≫1927~8年、ソフィア王妃芸術センター
≪血は蜜より甘し≫1927年、腐敗したロバ、切断されたロルカの頭部が特徴的。現在行方不明で写真のみ存在
≪アンプリアスの浜辺の詩人≫1927年

ロルカとダリの関係はプラトニックな範囲を超えて肉体的な結びつきにまで進んだようです。ダリはそのことを否定したり、部分的に肯定したりしていますが、死の直前、伝記作家のイアン・ギブソンに、彼が愛したのはロルカだったと告白しています。しかし、ロルカの詩集「ジプシー歌集」をダリが酷評し、シュルレアリスト・グループに接近した1929年には疎遠となりました。ダリは後年、ロルカとの男色関係を暗示するかのような作品も描き、その背景は海岸近くの漁師小屋でしょう。

≪グランドピアノを獣姦する大気的頭蓋骨≫1934年板に油彩、フロリダ、ダリ美術館

ロルカはスペイン市民戦争の最中、1936年にフランコ将軍率いる反乱軍にバルセロナ近郊で虐殺されました。ダリはその報を聞いたとき闘牛の観衆のように「オレ!」と叫びをあげました。