ダリ伝説

ダリを愛し、育ててくれた父を揶揄

≪ウイリアム・テル≫ほかの作品群

父がダリを愛し、その成長を見守り、助けたことは多くの資料が証明しています。絵が好きな息子に幼児の時代から美術全集、印刷機などを与え、友人の紹介でピカソ、ミロにも引き合わせ、バルセロナで個展を開かせ、マドリードの学生館と公式の美術学校に入れるなどサポートしました。ダリの父はフィゲラスの公証人で堂々とした風采の威丈夫。ダリもそんな父を敬愛したことを示すスケッチや肖像が残っています。

ダリ16才の時の父及び家族のスケッ
上のスケッチに基づく油彩≪父の肖像≫1920~21年、ガラ・ダリ財団

そのような父から勘当され、生活手段を失ったダリはガラとの貧乏生活をはじめますが、心の痛手から立ち直るにつれ自分の絵で父への報復に着手します。現在パリのポンピドゥーセンターが展示している≪ウイリアム・テル≫がそれですが、この絵は元々はブルトンが手に入れ死ぬまで手元においていたものです。

≪ウイリアム・テル≫1930年油彩、カンバス、コラージュ、ポンピドゥーセンター蔵

この絵でダリの父は下着から陰茎を露出した老人として描かれ、左手には去勢に使用したハサミを持ち、去勢した男根を入れた箱を右膝で踏みしだいています。画面左の男は顔を左手で覆いながら右手で老人を指弾します。画面上部のピアノは脚の形からしてダリの親友ロルカが学生館時代に弾いていたピアノ、ベヒシュタインのようです。弾き手の顔には父を連想させるライオンの首が迫っていてカダケスに滞在したロルカに対する父の親近感を暗示するかのようです。

父親に対するダリの複雑な感情は、これに留まりませんでした。≪ウイリアム・テルとグラディーバ≫1931年、≪ウイリアム・テルの老年時代≫1931年、≪子供・女の記憶≫1932年、≪液状の欲望の誕生≫1932年、≪ウイリアム・テルの謎≫1932年へと続きます。その中には父であるウイリアム・テルを大きな乳房を持つ両性具有者として描いたものも含まれてます。

≪子供・女の記憶≫1932年、油彩、カンバス、コラージュ。フロリダダリ美術館蔵、下部青い穴の中にはダリ自身を表す形があります。

ダリの父は、母の死後その妹を後沿いに迎えました。父の精力をダリは大きな男根を誇示する≪ウイリアム・テルとグラディーバ≫で表現していますが、ここではそれに関連した別のスケッチを挿入しておきます。

老人の左手が持つ去勢用のハサミに注目

≪平凡な官僚≫としての父

ダリは、さらに公証人であった父を頭の空っぽな≪平凡な官僚≫として描きました。官僚の左側の遠景には大人に寄り添う子供の姿が小さく描かれ、反発しながら父との昔を懐かしむダリの心情を表しています。

≪平凡な官僚≫1930年、油彩、カンバス、フロリダ・セント・ピータースバーグ、ダリ美術館蔵

ダリはアメリカでの成功の後、キャデラックに乗って故郷へ一度凱旋訪問しますが、それを除いて父に会うことはありませんでした。1950年に父の訃報に接すると、死の床の父の唇に接吻しましたが、葬儀には参列しませんでした。ダリが生家に残した多くの重要作品は現在マドリードのソフィア王妃芸術センターで見ることができます。