ダリ伝説

アンドレ・ブルトンの反カトリシズムへ迎合

父との断絶をもたらした一枚の絵≪聖心≫

私がこの絵に注目し研究を始めたのは、大阪大学文学部の図書室の『世界美術大全集西洋編27、ダダとシュルレアリスム』の扉に使われていながら何の解説もないことでした。いわば美術史界から等閑視されている≪聖心≫の謎を解いてみたいと思いました。

ダリ≪聖心≫1929年、布に厚紙で裏打ちポンピドゥーセンター蔵

ダリは1929年頃パリのシュルレリスとグループに参加することを望み、第一回パリ個展のため10枚の絵を準備しましたが、シュルレアリスムの総帥アンドレ・ブルトンは彼の参加に難色を示しました。理由はその中の一枚≪陰鬱な遊戯≫に人物の下着に糞便をつけた「スカトロジー表現」のあることでした。

ダリ≪陰鬱な遊戯≫1929年、厚紙に油彩とコラージュ個人蔵

≪陰鬱な遊戯≫はダリ作品に興味を抱き、父の夏季別荘のあるカダケスを訪問したシュルレリストのグループにダリが作品サンプルとして提示したものです。パリの画商ゲーマンスのすすめでこの作品を含む10点が第1回パリ個展(1929年開催)のために準備されました。

当時、シュルレアリストは「宗教、国家、家族」に対する強力な反感を表明していました。ダリはアンドレ・ブルトンからの難色をなだめるため、急遽パリでこの≪聖心≫をキャラコ地に描き個展に加えました。「私は時々、気晴らしに、母の肖像に唾を吐きかける」と筆書きで付け加え、サクレ・クール寺院(キリスト)が眼下に見おろすノートルダム大聖堂の聖母マリアを冒涜するさまを表しています。この絵は首尾良くブルトンの気に入り、ダリはシュルレリストのグループに加わることが出来ました。ブルトンは、この絵を自宅の壁に釘止めしてクラナッハの作品と並べて飾っていました。≪聖心≫の上部にその釘穴が認められます。

≪聖心≫は、ダリに思いもよらぬ事件をもたらしました。美術評論家エウヘニオ・ドールスの報告記事を曲解した父は、故人となっていた実母を冒涜したとして彼を勘当し、生地フィゲラスと避暑地カダケスに戻った場合は暴力的に追放すると言い渡しました。通常、この勘当の原因はガラとの関係であるとされていますが、ダリの親友で映画監督のルイス・ブニュエルにあてた父の手紙で≪聖心≫のインスクリプションが直接の原因であることは明らかです。この手紙は前掲松岡論文(1)でお読み頂けます。

ダリは、怒り狂う父に謝罪せず、パリに立ち去り、後に今後描く作品の前借りをしてカダケスから丘一つ隔てたポルト・リガトに漁師小屋を購入し、ガラとの愛の巣にしました。この小屋は増改築を重ね、現在はダリの居宅美術館として公開されています。

後日談があります。ダリは後に、ブルトンと袖を分かち、自分こそ真のシュルレアリストだと公言するに到っています。ブルトンはダリをドルの亡者と非難し続けました。

宗教に冒涜的な作品を描いたダリは1940年代以降宗教色を強め、教皇ピオ12世への謁見を果たします。アンドレ・ブルトンはそんなダリを嘲笑して≪聖心≫のコピーにコメントを貼り付け1950年に雑誌発表しました。

ブルトンは1950年に雑誌『ラ・ネフ』特別号でダリの転向をからかいました。