ダリ伝説

ダリエピソード(2)

ダリはゴヤへの尊敬の念をなぜ秘匿したか

ダリは15才の時、小冊子を発行し、その中で『絵画の巨匠』と称するシリーズを連載しました。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、デューラー、ベラスケス、グレコと並んでその冒頭に選んだのはゴヤで、スペイン最高の画家の一人と称えています。

ダリが15才で発行した雑誌『STUDIUM』第1号掲載の記事

少年時代のダリに取って、ゴヤは他の巨匠と同等以上の偶像的存在だったことは確かです。

少し長くなりますが、その一節を私の翻訳で紹介しましょう。

「ゴヤはその当時のスペインや、村人、すなわちスペイン人が住んでいた生活環境をそのままキャンバスに描いた。彼が描く天才的な肖像画には、描かれている人たちの性格や感情が表現されている。またタペストリーや風俗画には、その時代が驚くほど再現されている。あの美女たちと闘牛士たちとの間の礼儀正しい挨拶の場面、そしてキャンバスを明るくしている淡くデリケートな色と相まって、楽しそうで調和に満ちたリラックスした背景が、私たちを直ちにゴヤが生きていた時代にいざなう。(中略)

ゴヤの作品全体を観察すると、創造のアイデアに突然の変化が見られる。とても明快で単純なコンセプトのタペストリーやお祭の絵ではなく、ミステリーとメランコリーに満ちた、スペイン的で恐ろしい幻覚の≪戦争の惨禍≫を、ゴヤ晩年の時代の別荘や素描を飾る同様のシーンと比較してみよう。:タペストリーでは平安と楽しさが感じられ、戦争の絵画では、恐ろしさとうめき声が感じられる。タペストリーでは人々が、隠れた音楽のリズムに合わせてリズミカルに動いており、突然的なジェスチャーの≪戦争の惨禍≫では、叫びとうめきのリズムで動いている。 ゴヤは素晴らしい版画家であり、エッチング作家だった。彼の版画の中では、ゴヤの時代の腐敗した習慣を忠実に反映した、いわゆる≪カプリチョス≫が特に有名である。(中略)この偉大な芸術家は1746年に生まれ、1828年に死んだ。その日、スペインは、その誇る最高の画家の1人を失ったが、ゴヤという名は残り、そして永遠に残り続けるだろう。

しかし、世間に名をなしたあと、ダリはゴヤに対する賛辞を封印し、尊敬する画家のリストから削除する一方で、ゴヤ作品をアイデアの源泉にしていました。アラン・ボスケ『ダリとの対話』では「ダリはカリカチュアだ」と切って捨てていますが。

ダリの妹アナ・マリアは『妹からみたサルバドール・ダリ』でダリのゴヤに対するこの賛辞をほとんど全文掲載しました。ダリがこの本の出版に激怒したのは、この賛辞を含むダリの少年時代に関する関する記述が彼が告白する人生のスタンスと余りにも違ったからでしょう。

ゴヤの版画はダリにとってアイデアの源泉でした。ゴヤの≪ロス・カプリチョス≫のための素描帖B63番にはペニスの形状の巨大な鼻が描かれ、ダリがしばしば自分の作品に登場させる「松葉杖」に支えられています。この素描はしばしばプラド美術館で展示されていてダリがこの素描をみていたことは確かでしょう。私は前出の松岡論文(3)『ダリの「松葉杖」を読み解く三つのキーワード』で発表しています。

ゴヤ≪ロス・カプリチョス≫のための素描帖B63番

ダリは後年、ゴヤのカプリチョスと自分の改変を並列した版画集『ダリのカプリチョス』を出版しました。以下はその中のページですが中には非常にエロチックな改変も含まれています。

『ダリのカプリチョス』で対比されるエッチング(左)ゴヤ(右)ダリ

ダリの「松葉杖」が柔らかい構造を支える例を紹介しましょう。≪精巧で平凡な見えないハープ≫1932年です。

≪精巧で平凡な見えないハープ≫1932年、個人蔵