アメリカ南部でホームステイ

アメリカ理解のキーワード「コミュニティ」

 以下は、1991年アメリカ、ノースカロライナ州をロータリークラブのGSE団長として5人の団員を率い、訪問した際の公式記録です。当時のアメリカはエイズ以前、暴力や移民問題もなく、ニューヨークなど北部大都会とは違った南部アメリカ社会をホームステイで体験しました。黒人差別問題で国民が分断し、BLMやANTIFAがデモや暴挙を繰り広げる以前の、まだ落ち着いていた時代のアメリカを垣間見ることができると思います。

ライネッケ邸で
(写真説明)1991年アメリカ訪問チームメンバー

松岡茂雄
(チームリーダー、KK日本SPセンター副社長、大阪鶴見RC会員)

 私たちは、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ピードモント地方のRI第769地区での、5週間の滞在を終え、この4月初旬に日本へ帰国いたしました。団員一同、その間、病気もせず、到って健康で、ノースカロライナ滞在をホストファミリーと共に楽しみ、かつ有意義な日々を過ごしたことを、まずご報告致します。

団員の行動について
 私たちのチームはRlの新しい団員選考基準により、メンバーの一人に女性を加えることが許されました。幸せなことに、彼女は看護婦(Registered nurse)であり、かつバプテスト教会の英会話クラスのコーディネーターでもある、きわめて知的で心暖かいクリスチャンでした。

 彼女は、グリーンズボロ到着の翌日の朝、地区GSE委員会のジョー・ゴースロップさん(Joe Gawthrop)にエスコートをお願いして、教会へ行き、日曜日の札拝サービスに出席しました。彼女が、大阪で毎日曜日に行っている宗教上の習慣は、ノースカロライナのロータリアンの心をなごませたようです。

 団長の私は、仏教徒ですが、学生時代に教会のクワイアで唱ったこともあり、前後4回、第769地区の教会の日曜礼拝に参列しました。バプテスト系の黒人教会、プレスビテリアン、カトリック、メソディストと、宗派は毎週代わりましたが、どの教会でもアメリカ人の宗教心の厚さには、深い感銘を受けました。愛と平和を祈るキリスト教の精神が、この地区の人々のバックボーンであり、行動の規範なのだと感じました。

 黒人教会へは、リーズヴィルRC会長であるジョー・タウンズさん(JoeTowns)が、南部の黒人教会を訪れたいという私の願いを知り、行き付けのレストランの料理婦のかたに教会の所在を聞いて、同行してくれました。プリーチャーは快く私たちを受け入れ、バルコニーからのビデオ撮影を許して下さるとともに、サービスの途中で、ジョーと私の二人にスピーチを求められました。そのときの会衆の大きな拍手は忘れ難い思い出です。

 ロッキングハムのプレスビテリアン教会には、同RC会長のジーン・マクローリン(Gene McLaurin)さんと一緒に行き、ゲストとしてスピーチを求められました。ここで私は日本からきたGSEチームの一員としての挨拶をするとともに、オルガン伴奏で「主の析り」を独唱しました。これは、以前、マヘリア・ジャクソンの映画をみて歌詞を覚えていたもので、そのときの私の心境を伝えるにふさわしい歌だったと思います。

 団員と言えば、もう一人ぜひ言及しておきたいメンバーがあります。彼は、面接試験では、英会話の能力が、他の応募者に較べ、十分とは思えませんでした。しかし、彼には他の人にないすぐれた能力がありました。彼はバイオリニストだったのです。

 音楽はグローバルランゲージ、つまり世界語であり、言語の壁を越えて心と心を通わせます。英会話能力の不足は団長の私が補うという約束で団員に加えたのですが、結果は大成功でした。彼の美しいバイオリン前奏につづいて、団員がミュージカル「王様と私」の有名なナンバーである「ゲティング・トゥー・ノー・ユー」を英語で歌うと、アメリカ人の誰もが友達になり、心を開いて下さったのです。

 最初の訪問地、リーズヴィルのゾーンコーディネーター、ジャック・ハリル氏(Jack Harril)は、私たちを車で案内しながら、ずっとこの歌を口笛で吹いておられたほどです。

 彼の音楽的才能が非常に際だっていたので、ロータリークラブの例会後、彼に握手を求める人が相次ぎました。小学校、高等学校、カレッジ、教会でも彼はバイオリンを独奏しました。また、ウィンストン・セーラムでは、音楽学校の授業にも彼は参加しました。ピアノが置いてある会場では、先ほど述べた女性メンバーが即興的にピアノ伴秦を付け、音楽的効果をさらに高めました。私たちを「ミュージカル・チーム」と呼んだロータリアンもあったほどでした。

 私は団長として、彼の存在にどれだけ助けられたことでしょう。英会話能力は問題ではありませんでした。彼と話しする全てのアメリカ人は、ゆっくりしゃべってくれました。身ぶりも役に立ちました。一週間のホームステイが終わりに近づくと、彼は「英語が十分に話せなくて済みません」とホストファミリーに謝るのが常でした。すると「私たちも日本語が話せないのだから合いこじやないですか」との返事があったそうです。

 団員の職業研修日(ヴォケイショナル・デー)のプログラムは、第769地区のGSE委員会及び各ゾーンコーディネーターにより配慮が行き届いていました。その用意周到さは、度重なる打ち合わせやミーティングの資科に、よく表れています。グリーンズボロのゾーンコーディネーターのフレッド・ライネッケさんの書類綴ほ、その膨大な打ち合わせ資料で背が破れていたくらいです。

 国際的なホテルチェーンのベルマンである一団員は、769地区内の空港ホテル、リゾートホテル、大小のシティホテルを訪問し、それぞれのマネジャーから親しくお話しを聞き、アメリカのホテルのマネジメントについて、単なる旅行者やゲストでは得ることのできない貴重な体験をしました。彼はまた、帰途のボーナス旅行でニユーヨークに滞在している間にブロードウェイのマリオットホテルのマネジャーにも会うことができました。これも、グリーンズボロのロータリアンのご紹介により、実現したものです。

 レストラン勤務の団員は、いろいろのタイプのレストランやカフェに案内され、実際に試食までしました。彼は、着任して2カ月にしかならないある日系企業の社長さんとチーム全員が昼食をともにしたとき、その社長がアメリカの食事はまずいというのを聞いて、それはきっと、まだおいしいものをアメリカで召し上がっていないからではないでしようか、とたしなめました。その社長は、この若者の言葉を素直に聞いて、そういえば、ちゃんとしたレストランで食事もしていないし、家庭にも招待されていないなと、反省されました。

 副団長は、ラツピング用のリボンと手芸用のフェルトを扱う卸商の事業継承者でしたがたまたま、例会で同席したロータリアンが彼の職業的関心事を聞き、さっそくしかるべき訪問先へ案内してくれました。彼はまた、地区外のローリーにあるノースカロライナ大学のジヤパンセンターを一日がかりで訪問しました。もちろんロータリアンが同行して項きました。

 大阪市のボランティアとして市役所の人たちとの関係も深い彼は、GSEプログラムで訪問したアメリカの地方自治体のありかたに、一種のショックを受けました。それは、住民へのサービスに徹している行政の姿です。この経験は、政界への登場を彼がもしも目指すとすれば、大きく生かされることでしょう。

 看護婦の女性は、特にアメリカの病院のシステムや設備、医学教育のありかた、コミュニティ・カレッジにおける看護婦教育に関心がありました。デイケアセンター、老人ホームなども見学し、ホームレスの人たちにボランティアがスープを提供するスープキチンまで訪れています。

 団長の私は、高校におけるコンピュータ教育(特にリーズヴィルの高校)に感銘を受けました。コンピュータ言語の教育に偏らず、統合型のソフト(マイクロソフトワークス)の実際の使いかたを一人一台のマシンで教育していました。日本はこの面では、アメリカに数年以上遅れていると思います。

 大学の授業の見学では、教員と学生の活発な質疑応答に驚きました。まるで友達のように親しく議論しています。教科書も写真や図版が豊富でしかも分厚く、日本の大学で用いているものより、優れているように思えました。オーバーヘッド・プロジェクターを活用した授業はわかりやすく、迫力があります。

 ノースカロライナ大のグリーンズボロ校のビジネススクールでは、先に述べた現地の日系企業の社長とともに、国際マーケティングの講座に出席。学生の質問に英語で応答しました。ウェイクフォレスト大では、日本史の教授や日本語教室の先生、学生と日本語だけて懇談し、英語ばかりの日頃と逆の立場を経験しました。

 団員の英語会話能力は、ノースカロライナ滞在中に、みるみる向上しました。南部訛りがすっかり身についたようですが、スピーチの途中にそれをジョークにして、笑いを誘うまでになりました。

 私たち団員は、特に日本趣味を売り物にしませんでした。看護婦の団員がパーティでお茶(ティーセレモニー)を披露したのが唯一の例外です。ごく普通の日本人の姿をお見せして、我々はあなたがたアメリカ人と同じ人間なんだ、決して、封じ込めの対象なんかじゃないことを肌で感じてもらった積もりです。

ホームステイの体験から
 ホストフアミリーの選定は、団員個々にあわせ、よく配慮されていました。例えば看護婦の女性には、医師の家庭が多く割り当てられました。日中のプログラムは通常、一台のワゴン車に乗り、ロータリアンのボランティアが運転して案内して下さったので、結構、団員同士で日本語をしやべる機会がありましたが、ホスト家庭に帰ると、あとはアメリカ人と一対一の会話になります。日本人とアメリカ人が、ファーストネームでお互いを呼び合い、家族同様の付き合いをしました。

 グリーンズボロの、あるホスト家庭の主婦は、団員にこう告白しています。「日本人なんて、よく知らなかったし、どちらかと言えば好感を持っていなかった。何を食べるのか、どうもてなしたらよいのか分からず、ナーバスになっていた。しかし、あなたの顔を見て、しばらく話ししていると、突然、気がついた。いつもの通りにすれば良い、家族が一人増えたと思えば良いんだと。もう、今ではあなたを日本に帰したくないくらいだわ。」

 5週間の滞在中、日本食を恋しがった団員は、中年の私を含めて一人もありませんでした。南部の典型的なディッシュであるグリッツが好物だという団員も現れました。日本の若者の嗜好はアメリカの食事をすんなり受け入れるようです。私の場合、チーズ・グリッツとグレイビー・オン・ビスケットが口に合いました。

 この地方の名物であるBBQ(焼き豚)は残念ながら、レストランのものは美味しくありませんでした。しかし、ホスト家庭のご主人が自ら庭先で焼いてくれたBBQは、これがあの、というくらい美味で、味の良し悪しは料理法によるのだということが分かりました。

 よく、アメリカの牛肉は不味いと言う人が日本人にいます。BBQは豚肉の料理ですが、庭先のバーベキューセットで蒸し焼きにした牛肉のフィレステーキも、家庭科理でありながら、日本の一流のステーキハウスに劣らないものでした。むしろ脂肪が少ないだけ、牛肉本来の味が生きています。

 リーズヴィルRCの会長夫妻がテキサススタイルの「ロングホーン」という店に案内してくれましたが、大きくておいしいTボーンステーキが、わずか14ドルでした。日本では100ドルはするでしょう。帰途のボーナス旅行で立ち寄ったニユーヨークの有名レストラン「ギャラガーズ」では同じTボーンステーキが27ドル。ざっと、倍の価格でした。大都会では、すべてコスト高になることは、日本と同じです。

 ホームステイの素晴らしい点は、ホスト家庭のみなさんと日常の生活をともにして、アメリカ生活の良い部分を内側から、観察できることです。食事の前のお祈り。私たち日本人も、「項きます」という食前の言葉をもっていますが、そのような形式的なものでなく、その日その日に即した感謝の言葉を神様に述べています。家族の写真や肖像画を飾ったインテリア。一見、ゴテゴテしていますが、コミュニティの最小単位である家庭を大切にしていることがよくわかります。

 アメリカの家は日本の家に比較すると、大きく、広く、部屋数も多いのですが、それでも私たちのために、日頃誰かが使っている部屋を空けてくれたのだな、と感じることがありました。ホスト家庭を務めるのは、本当に大変な奉仕の精神が必要です。

 自動車は想像以上の必需品です。職場に通うにも、何か一つ買い物に行くにも、教会に行くにも、大量輸送機関がなく、広い土地にゆったりと暮らしているので、家族一人一人の行動を別々の自勤車に頼らざるをえません。家族一人につき一台どころか、一家に6台も自勤車を持つ家庭までありました。

 アメリカのガソリン価格は日本の4分の1ですが、これが日本やヨーロッパなみの価格になったり、あるいは財政赤字解消のために十分なガソリン消費税を政府が徴収したりすれば、このようなアメリカ的生活は、大変貌を余儀なくされ、小さな車に乗り換えるとか、家屋を密集させねばならないとか、社会構造がラディカルに変わらざるを得ない、と思います。

 同じことが、住宅についても言えます。1~2エーカー(1200~2400坪)もある敷地に4000平方フィートの家。セントラル給湯とヒーティング。そしてどの寝室にも独自のバスルーム。フォーチュン誌が今年の3月11日号で特集していますが、アメリカの小都市の生活は、世界でもベストでしょう。

 その反面、世界中の人が、このアメリカ的生活にあこがれ、同じ生活水準を求めるとしたら、この地球にいったい何人が住めるでしょうか。世界の人口爆発と南北の生活格差を考えるとき、恵まれたアメリカ的生活は、世界的な大変化が起きる前の、「束の間の楽園」という気がします。

センス・オブ・コミュニティ
 ホスト家庭に滞在していると、いやでも彼らの忙しさに気づかされます。アメリカ社会は明らかに「朝、昼型」で、日本のように何となくダラダラと夜遅くまで働くことはありません。しかしロータリアンのような、エグゼクティヴたちは、教会、YMCA、学校など、地域社会との関わりのなかで、オーバーワークとも思えるほど、お金にならないことにあちこちでボランティア活動をしています。もちろん私たちGSE団員のお世話もその中に含まれます。

 アメリカ人は個人主義といわれますが、その反面、その個人が帰属しているコミュニティに対しての貢献に義務感ともいえるものを抱いていることに一種の感銘を受けました。

 サザン・パイン地方のムーア・メモリアル病院を見学していたときのことですが、人品いやしからぬ紳士が運搬夫をしていました。彼は、この地区で余生を送るために引退して引っ越して来たロータリアンで、悠々自適の生活を送るかたわら、何か社会に役立つことをと、毎週一日、病院で無償で働いているのです。

 この病院には、彼のようなボランティアが何と600人も登録されていました。ウィンストン・セーラムのバプテスト病院の受付もボランティアでした。グリーンズボロでは、幼児の保育所で「家でテレビを見ているより社会のために働きたい」という年配の女性が、保育施設の飾り付けに、自分の才能を生かして活躍していました。慢性的な資金不足に悩む社会奉仕団体には、どこでも献身的なボランティアの姿が見られました。

 ノースカロライナのハイウェイや町なかの道路には「Adopt a Highway」(アドプト・ア・ハイウェイ)というサインをよく見かけました。これは、ある企業なり団体なりが、道路の特定区間の清掃(例えば空きビン、空き缶の除去)を州や市に対して約束し、年2~3回ゴミ集めをするものです。

 集めたゴミは、指定された袋に入れて道ばたにおいて置くと、翌日には州や市の清掃員が持って行ってくれます。清掃中、自動車に敷かれないように、よく目立つオレンジ色のチョッキが貸与され、ガラスなどから手を保護する手袋も当局が貸してくれます。

 ハイポイントでは、ロータリークラブが、この都市の郊外から市街地に入る幹線道路であるジョンソンストリートの清掃を請け員い、私も同RCの会長(Joe Craycroft)以下10数人のロータリアン(パスト会長やパストガバナーを含む)と共に2時間にわたってゴミ拾いを楽しみました。

 「コミュニティ」と個人の関わりについては、アメリカに進出した日本企業がカルチャー・ギャップに直面するところです。日系企業の従業員も会社に勤めていると同時に「コミュニティ」の一員であり、当然その中での活動に参加しなければなりません。また、企業も、「コミュニティ」の行事には積極的な参加を求められます。

 ある日系企業に最近着任したCEO(最高経営責任者)が、前任者と違い、このことにうとく、アメリカ人幹部が当惑しているケースを見かけました。

 リーズヴィルでの私のホスト、ジョー・タウンズはテキサスからニユーヨークまで天然ガスをパイプ輸送する会社の、ある中継所の責任者です。彼の中継所は、近隣に人が増える以前から存在していますが、最近でほガスの加圧ポンプの低周波公害に気を使う必要が生じてきました。近隣の人たちと良い関係を持つことは、ある意味で会社の死活間題です。彼の会社は、道路清掃を請け負うとともに、小鳥の巣箱設置などを通じて「コミュニティ」の中の良き隣人であろうと努力しています。

 アメリカでは行政側もボランティア大いに結構、という歓迎姿勢がみられます。ボランティアがあれば、当然、地方自治体の行政コストが削減できて滅税にも役立ち、大歓迎ということです。市の職員が失業するといってボランティアの申し出に難色を示す日本の地方自治体と態度が大違いです。これから急速に老齢化社会に向かう日本も、ボランティアに働き場所を与えることを考えてはどうでしょうか。

 この「コミュニティ」という光に照らして見れば、湾岸戦争で日本がなぜ、アメリカ人の憤激を買ったか、よく理解できます。中東の石油、いや世界の石油資源の65%を独裁者の手に渡すわけには行かない。日本は中東に石油の70%を依存しているのに、戦争はアメリカに任せて、自分は知らん顔ではないか。いろいろ理屈はあるだろうが、我々と同じ「コミュニティ」に属しているのなら、その成員としての当然の責任を果たしてはどうか、ということでしょう。

国際的な相互理解と相互依存のために
 アメリカにおける日本製品の評判は品質面で特に高いものがあります。ウィンストン・セーラムのゾーン・コーディネーター、リチヤード・バー氏(Richard Burr)は、ノースカロライナ滞在最後の日に、GM製の新車のワゴンを運転して、私たちを案内してくれましたが、突然の豪雨で、殆ど前が見えなくなると同時にワイパーが全く動かなくなりました。電気回路がショートしたのです。「アメリカン・カー」と吐き捨てるように言った彼の表情が印象的でした。

 また別の人はアメリカ車を買って一年に14回も故障でディーラーに駆け込んだと言います。アメリカの消費者はもちろん愛国心に富んでいますが、一消費者としては、品質が良くて安ければ、何処の国の製品でも構わないという態度が歴然としています。自由貿易は消費者のためになる、というわけです。

 アメリカの消費者はヨーロッパの消貴者より自動車を25%も安く入手しているそうですが、これは日本車に対する輸入制限が欧州より緩やかなせいで、アイアコッカが何と言おうと、過酷な輸入制限は、消費者が承知しないでしょう。

 自動車ばかりでなく、アメリカの誇るコンピュータの部門でも、異変が起きつつあります。ノートブック型パソコンの登場に代表されるダウンサイジングが市場を大きく揺るがし始めていますが、そのノートパソコンの殆どが日本製またはそのOEMです。

 私は今回のノースカロライナ行きに、このノートパソコンとインクジェット式のポータブルプリンターを持参しましたが、その高性能と安価さは驚嘆を呼びました。アメリカ人にとっては、日本語がコンピュータで処理でき、漢宇や仮名で印字できることすら、一種のカルチャーショックのようでした。

 日本が「ものまね」を脱して独自の製品を作り始めてから相当の年月が経っています。重要な技術的進歩が日本だけで発表され、それに欧米の企業がアクセスできないでいます。

 日本人はアメリカの技術情報に(英語が読めるから)自由に接触できるが、アメリカ人は(日本語が不自由だから)オープンデータすら手に入らないと、問題視されています。技術的にも、経済的にも、にわかに存在感を増した日本。しかし、その素顔は見えないし、不可解なことだらけ、というのが現状ではないでしょうか。

 日本古来の文学や文化の海外における研究も大切でしょうが、それ以上に、現代日本の理解に役立つ、実用的な日本語教育にも関心を持ちたいと、思うようになりました。日本の業界新聞や技術雑誌を外国人が読みこなし、日本の技術者と付き合い、日本語のデータベースから必要な情報を検索して入手できるようにするためには、どんな日本語教育が有効かを考えてみたいと思います。

 情報の流通は一方通行でなく、双方向でありたい。「日本からの情報発信」を外国語で明確に行うと同時に、外国から日本の情報に自由にアクセスできるようにすることが、国際的な相互理解、ひいては世界の平和の推進に役立つと信じます。私はロータリアンの職業奉仕の一環として、この分野で何かの活動が出来るのではないかとの希望を抱きました。

 「お互いの国民がお互いを知り合うこと」その重要性をこの旅行は改めて認識させてくれたと思います。

第769地区のみなさんのこと
 私たちがノースカロライナ入りをしたのは、丁度、多国籍軍が、クウェートに進攻した直後でした。日本人に対しての悪感情があるのではないか、と心配しましたが、グリーンズボロ空港でパストガバナーのリチャード・マイスキーさん(Richard Meisky)始め、地区GSE委員会のみなさまの暖かい歓迎を受け、感激しました。そのありさまは、写真入りで地方新聞に掲載されました。

 その夕刻、GSE委員長のパット・バーフィールドさん(Patrick Barfield)、デヴィッド・ジョーンズさん(David Jones)から夕食のご招待を受け、親交を深めました。

 翌日、パスト・ガバナーのチップ・ウッドさん(ChipWood)ほかのGSE委員によるオリエンテーションがあり、アメリカという国、その行政や司法と警察の仕組み、貨幣・銀行の制度などについて概要を学びました。

 夕刻には、ガバナーのジョン・ジャスティスさん(John Justice)ガバナー・ノミニーのエヴァレット・パジェットさん(Everett Padgett)列席のもとに、各ホストファミリーが出席した歓迎晩餐会が空港マリオットホテルで開かれました。

 その際、湾岸戦争に出征したアメリカ兵士の無事な帰還を願って、胸に黄色いリボンを着けました。あるロータリアンから後で聞いたのですが、このリボンの着用で、アメリカ側の胸のつかえがとれ、歓迎の心がこみ上げたとのことです。

 晩餐会ののち、団員は最初の訪問地リーズヴィルのホスト家庭に向かい、分宿しました。いまから思えば南方のロッキングハム市のホスト家庭は、往復3時間のドライブをして出席されたのだなと、感慨もひとしおです。
 各ゾーンで嬉しかったのほ、そのゾーンの概要をオリエンテーションして頂いたことです。リーズヴィルでは、ジャックさんが独立宣言、合衆国憲法から説きおこし、ロッキングハム・カウンティの現状にいたるまで、半日をかけて説明してくれました。

 その場には戦争花嫁のスージー・ストラウドさん(Susie Stroud)も同席し、アメリカの地域社会について、話してくれました。彼女はまた、リーズヴィルRCの創立記念例会にも招待され、私たちの歌う日本の童謡を聞いて涙したそうです。

 ロッキングハム(リッチモンド・カウンティ)でも、例会に日本の戦争花嫁が招待されていて、ロータリアンの心遣いに感激しました。また、この日が誕生日だった松本君のために全員がハッピー・バースデー・ツー・ユーを歌って頂きました。

 この地区では、ジム・ヒツクスさん(Jim Hicks)が、ビデオを使ってコミュニティと産業についてオリエンテーションをしてくれました。グリーンズボロ、ハイポイントでは、商工会議所で用意された資料の配布を受けました。

 グリーンズボロでみせて項いたビデオは日本語のナレーションがついていましたが、日本国内ではもはや使用しない差別語が用いられていて驚きました。早速、その旨を伝え、機会があれば訂正して下さるようお願いしました。

 ウインストン・セーラムでは、ゾーン・コーディネーターのリチヤードがシティ・クラブの一室で、この町の成り立ちや歴史、現状などについて、詳しく話てくれました。また、リチャードは、この由緒あるクラブでの昼食後、古い町並みが保存されているオールド・セーラム地区や改修中のルノルダ・ハウスにも案内してくれました。

 名所の訪問はいつも楽しいものです。リーズヴィルでは、ジヤックに連れられて、チンカ・ペンというマンション(大邸宅)を訪問しました。

 現在ノースカロライナ大学に寄贈され、博物館になっていますが、この田舎にこんなものが、と驚く建物とインテリア調度品でした。チャーチルが滞在した部屋もありました。ジャックほ、このミュージアムのチャーター・メンバーで、本人の知らないまにプレートに名が刻まれてあり、彼自身が驚いていました。

 ロッキングハムでは、プロバスケットボールのホーネッツのゲームをシャーロットまで観戦に行きました。ハイポイントでは、それぞれのホスト家庭が、海に山に、ゴルフにメンバーを誘って下さいました。

 グリーンズボロでは、アメリカ独立戦争で決定的な役割を果たしたギルフォード古戦場と200年前の家屋に案内されたほか、ロータリアンが館長をなさっている博物館で南北戦争時代の武器を見せて項きました。

 ウインストン・セーラムでは、平野の中にテーブルのように吃立するパイロット・マウンテンに登りました。ワゴンを運転してその週3日間、私たちのお世話をして項いたピートさん(Pete)は、脳腫瘍の手術から立ち直られた方でした。株式ブローカーというお仕事の中でこんなに多くの時間を私たちに割いて頂き、一同、涙がでるほど感激しました。

 ピートさん以外にも、多くのロータリアンがボランティアとして、慣れないワゴンを運転して案内して下さいました。中には、パスト会長も含まれていました。アメリカのロータリアンの奉仕の精神には、本当に頭が下がる思いです。

 ノースカロライナ滞在中、訪問した企業はそれぞれ、それなりに興味の深いものでした。リーズヴィルで訪問した、ミラービールの製缶工場と醸造工場、アメリカ煙草会社のシガレット製造工場は、世界でも有数の規模でしょう。

 レンガ製造工場、カラスタン絨毯製造工場は、地元の建築やインテリアに関係の深い地場産業でした。

 この地区では日系企業の神戸カッパーを訪れました。現地企業とジョイントベンチャーで、その敷地内で付加価値の高いエアコン用銅管の内部加工を日本のノーハウで行う工場でした。

 地域社会への融け込みに留意している様子でしたが、日本人従業貫の子弟が日本語を忘れてしまうのが悩みのタネの模様で、週末には、日本語学校を会社幹部のボランティアで開催していました。先生や教材の確保に悩みがあるようでした。

 このリーズヴィルでは殆ど毎朝、ジャックさんの家に団員一同が集まり、奥さんの心のこもった手科理の朝食をご馳走になりました。

 ロッキングハムで印象が深かったのは、パインハースト地区の世界有数のゴルフ場群とゴルフ名誉の殿堂を別にすれば、バーリントン・インダストリーの主力工場とハリス原子力発電所が挙げられます。

 バーリントン・インダストリーは、原糸をテイジンから輸入し、それを加工して独特の織り柄の布地に仕上げています。この工場では従業員のトレーニングに力を注いでいるのが目だちました。

 ハリス原子力発電所は州都ローリーの近くにあり、平野のど真ん中に位置しています。それだけに、PRには極めて熱心で、立派な展示場を備えていました。

 その規模や、かけたお金では、開西電力美浜原子力発電所に劣るかも知れませんが、内容はどうしてどうして、参考になるところが多いように思いました。例えば使用済み燃料の運搬の安全性ですが、コンテナを搭載した運搬車を壁に激突させたビデオを公開。車が原型をとどめないまでに破壊されても燃料コンテナはビクともしないことをデモしていました。

 ローリーの州議会では、リッチモンド・カウンティ選出の上院議員が親しく議会の施設や委員会を案内してくれました。また、ロッキングハム・カウンティ選出でリーズヴィルのロータリアンであるサンディ・サンズ州上院議員とともに、議会で私たちGSEチームを紹介し、GSEはロータリーの国際的な相互理解に対する偉大な貢献プログラムと発言しました。

 ハイポイントのゾーン・コーディネーターであるビル・ケスターさん(Bill Kester)の会社ローズ・ファニチャーの展示場は、さすが世界の家具のセンターと称する土地柄だけあって、圧倒される規模でした。

 いろんな様式の家具が見事にコーディネートして多数展示され、その場で、あるいはフリーダイヤルの電話でオーダーできるようでした。ハイポイントでは年2回、家具フェアが町を挙げて開催され、世界中から人が集まるようですが、その時期に再び訪れてみたく思いました。

 ロータリアンの案内で訪問したレジャーボート工場、スクールバス工場は、労働者の安全性の面で疑問がありましたが、ハイポイントRC会長ジョー・クレイクロフト(Joe Craycroft )さんの会社マツクパネルでは、東洋系、黒人労働者の労働環境もよく、社長の立派なポリシーを感じました。

 グリーンズボロでば、リーバイスジーンズの原反を製造しているコーンミルズの工場の規模に驚嘆させられました。経営者の一族もロータリアンであり、地域社会への寄付と貢献は著しいようでした。

 この地区で感銘を受けたのは指導者養成機関の存在でした。女性ロータリアンのヴィッキーさん(Vicky)が幹部のこの団体は、大企業の幹部教育を合宿で行っていますが、グリーンズボロ地区のロータリークラブの協力を受けて、「ロータリー青少年指導者キヤンプ」を開いています。

 この女性幹部は東京にくるチャンスが年に1~2回はあるようなので、束京・大阪間の旅費及び滞在費を負担すれば、我が266地区にもその機会をとらえて招待することは可能でしょう。

 ウインストン・セーラムは、同名の二つのタバコがあるように、レイノルズタバコのお蔭で発展した町です。その名もタバコヴィルにある同社の工場は、世界最新鋭というだけあって、運搬ロボットなどが活躍する大規模な工場でした。

 企業訪問のほか、地方自治体、学校、病院福祉施設などの訪問ほ、許される範囲内で写真撮影し、また延べ80時間近いビデオテープに収録しました。これは、ロータリアンの同行があってのことと、第769地区のみなさんに感謝する次第です。この貴重な資料は編集が済み次第、当地区のビデオライブラリーに納めて自由な参照に供したいと考えています。

 ビデオと言えば、各ゾーンで開かれたホームパーティの様子も記録しました。開放的で親切なアメリカ人気質や美しいインテリアは、興味深いものがあります。

 リーズヴィルのグイン(Gwyn)家でのパーティは、元ヒッピーのご夫婦のもとに、このゾーンのホストファミリーが一堂に会する楽しいものでした。その最中に湾岸戦争の終結を告げるブッシュ大統領の声明があり、異様な興奮に包まれました。

 ロッキングハムのスウィニー(Swinnie)家のパーティでは先述のグイン家のパーティに引き続き、杉野さんがお茶のお点前を披露し大好評でした。この地区を去る朝、ゾーンコーディネーターのヒックス家では、州上院議員、下院議員、ロッキングハム市長、ハムレット市長も参加した朝食パーティがありました。

 グリーンズボロでは、最終の土曜日、市内4RC合同により、伝統あるグリーンズボロ・シティクラブで晩餐会が開かれました。司会を務めるゾーン・コーディネーターのフレッド・ライネッケさん(Fred Reinecke)の心のこもった挨拶に、涙もろい私ほ、思わずハンカチを濡らしてしまいました。

 ウインストン・セーラムでは、マクミラン(McMnillan)家にホスト家庭のすべてがキャセロール入りのご馳走を持ち寄り、子供たち同伴のホームパーティがありました。

 ノースカロライナ出発の前日は、時ならぬトルネードによる豪雨でクリークが氾濫し、死者もでる騒ぎでしたが、ガバナー、ガバナーノミニー、地区GSE委員会の面々、ほとんどのホストファミリーが、ウィンストン・セーラムのシティクラブに集い、送別晩餐会が開かれました。

 ルノルダRCのウィル・マン(Will Mann)会長の司会のもと、ゴースロップさんの感激的なお祈りの言葉で会は始まりました。ジャスティス第769地区ガバナーからは、「これまで、たったひとつのクレームもこのチームに関しては聞いていない」とお褒めの言葉を項きました。

 ノミニーのパジェットさんは、来年大阪に素晴らしいチームを派遣すると約束されました。パストガバナーのマイスキーさんによる数度の乾杯、ウッドさんによる、団員各自のネーム入り楯(ノースカロライナ州の形にカットされています)の贈呈につづき、団長の私が謝辞を述べ、全団員が一言ずつ流暢?な南部訛りの英語で挨拶しました。

 お別れは、チームソングのゲティング・ツー・ノウ・ユーに始まり、さくらさくら、春の小川の童謡メドレーに新曲のウイ・アー・ザ・ワールドを加え、最後は日本のキャンプ・ソング、「きょうの日はさよなら」を熱唱しました。

 翌日、グリーンズボロ空港には地区GSE委員会の方々、ウインストン・セーラムのホストファミリーの見送りを受け、後ろ髪を引かれる思いで、ノースカロライナを出発しました。

 長いようでも、あっという間に過ぎ去った5週間。その間どれだけ多くのロータリアンやボランティアの方々のお世話になったことでしょう。来年、大阪にいらっしやるGSEチームのお世話で、このご恩を少しでもお返しできたら、と団員一同で語り合っています。

(付)ロータリーの例会について
 ロータリークラブの例会には、合計13回出席しました。

 例会の進め方は日本のロータリーと、かなり異なります。GSEチームの紹介を卓話の時間として扱って下さったクラブが殆どでしたが、中には年度の始めからゲスト・スピーカー(例えば国会議員)が決定している場合もあり、その時は、例会のプログラムに先だって、私たちの紹介がありました。

 いずれの場合も、まず、ゾーン・コーディネーター、もしくはそのクラブの国際奉仕委員長からGSEの意義の説明と団長である私の紹介があり、それを私のスピーチが引き継ぎます。殆どの場合、団員の一人一人に自己紹介をさせ、そのあと、副団長の松本君の司会で、歌を唱いました。

 曲目は、チームのテーマソングとして、Getting to Know You、日本の四季を歌った童謡のメドレーでしたが、時間が限られている時は、団長の私が一括してメンバーを紹介したり、童謡のメドレーを春の歌に限ったりしました。また、聖パトリック・デーの直前の例会では、アイルランド民謡のダニー・ボーイを西村君のヴァイオリン独奏で加えたりしました

 アメリカのロータリークラブの例会で、私の気づいたことを箇条書きにすると、次のようになります。
●例会の食事は、ビュッフェ形式で、三三五五に始まり、会長点鐘後、お祈り、国旗に対する忠誠の誓いのあと、プログラムが進行する。
●司会は会長自身が行い、必要に応じて各担当の報告を求める。
●例会終了の点鐘まで、ビジターの退席は殆ど見られない。
●例会終了後、その場に残って理事が打ち合わせをしている。
●歌や体操は見られない。
●ビジター・フィーが安い(約6~7ドル)。会費もそれ相当に安い。(年1000ドル以下のように思われる)

以上

1991年当時の黒人差別について

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