国際交流

International Exchange

ロータリークラブ会員になったのは

Rotary International and myself

 私は1984年(昭和59年)大阪鶴見ロータリークラブの創立会員となり、以後、高齢年金生活者として退会するまで、20数年間在籍しました。

 ロータリークラブについては「お金持ちの昼食会」くらいの認識しかなかった私ですが、会員になったきっかけは、京阪電鉄商事(京阪モール)の専務、大内昭男氏に新しいクラブを創るから創設メンバーにならないかと勧誘を受けたことです。同氏とは、その後長い間、兄弟以上のお付き合いをして頂きました。

 大内さんは、大阪府立北野高校および大阪教育大附属池田中学校の同窓生大内かほる(旧姓今津)さんのご主人で、早大卒。山形県から戦後第一回高校選抜野球大会にピッチャーとして出場されています。その後、京阪モールの社長になられましたが、惜しくも筋萎縮症を発病され、70才を目前に他界されました。

 大阪鶴見ロータリークラブでは、創立にあたってクラブバナーのデザイン、チャーターナイト(国際ロータリー認証状授与式)のイベントとして鶴見緑地の紹介ビデオ制作をしました。その後、主として国際交流を担当。1991-1992年度クラブ会長。創立20周年ではクラブの歩みを紹介するCD-ROMを制作しました。

鶴見RCバナー
(写真説明)後に花博が開催された大阪鶴見緑地の大池と鶴見新山をイメージ

社会人研究グループ交換”GSE”

Group Study Exchange

ロータリークラブ会員になったのは

How I became a member of the Rotary Club

 私は1984年(昭和59年)大阪鶴見ロータリークラブの創立会員となり、以後、高齢年金生活者として退会するまで、20数年間在籍しました。

 ロータリークラブについては「お金持ちの昼食会」くらいの認識しかなかった私ですが、会員になったきっかけは、京阪電鉄商事(京阪モール)の専務、大内昭男氏に新しいクラブを創るから創設メンバーにならないかと勧誘を受けたことです。同氏とは、その後長い間、兄弟以上のお付き合いをして頂きました。

 大内さんは、大阪府立北野高校および大阪教育大附属池田中学校の同窓生大内かほる(旧姓今津)さんのご主人で、早大卒。山形県から戦後第一回高校選抜野球大会にピッチャーとして出場されています。その後、京阪モールの社長になられましたが、惜しくも筋萎縮症を発病され、70才を目前に他界されました。

 大阪鶴見ロータリークラブでは、創立にあたってクラブバナーのデザイン、チャーターナイト(国際ロータリー認証状授与式)のイベントとして鶴見緑地の紹介ビデオ制作をしました。その後、主として国際交流を担当。1991-1992年度クラブ会長。創立20周年ではクラブの歩みを紹介するCD-ROMを制作しました。

鶴見RCバナー
(写真説明)後に花博が開催された大阪鶴見緑地の大池と鶴見新山をイメージ

社会人研究グループ交換”GSE”

Group Study Exchange

 「国籍を異にする市民同士の相互理解(Mutual Understanding)を通じて国際平和に貢献する」世界的な組織であるロータリーには、ホームステイによる市民ベースの国際交流プログラムとして、研究グループ交換、通称GSEというプログラムがありました。(現在は予算縮小のため中止されています)

 私は、国際ロータリー第2660地区のGSEのお世話を地区委員会委員長を務め、また個人的にホームステイを引き受けるなどして協力してきました。

 関わったGSEは、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランド、トルコ、ブラジルなど。その他、クラブではオーストラリアとの交流のお世話もしました。

 1991年にはアメリカ、ノースカロライナ州のグリーンズボロ近郊の地区への派遣チームの団長を務めました。この交換で体験したことの詳細は別ページ掲載してあります。

ヒロシマへの日帰り旅行

 大阪へやってきた国際チームは、ホームステイで貴重な体験をします。彼らが感激するのは日本人のホスピタリティと日本文化の素晴らしさです。

 大阪以外にも、奈良、京都も訪問してもらいますが、彼らが異口同音に感動するのは、ヒロシマへの新幹線による日帰り旅行です。

 広島では「平和記念資料館」「原爆ドーム」を案内しますが、ゴッホ≪ドービニーの庭≫など名画を所蔵する、ひろしま美術館に立ち寄ることもありました。

 アメリカチームのある女性は、原爆投下のもたらした、あまりの悲惨さを見て、目を真っ赤にし、泣きながら「それでも真珠湾がある」とつぶやいていました。

 しかし彼女も「こんなことが二度あってはならない」ことだけは、しっかり認めたようでした。また資料館が各国のチームに感銘を与えたのは、「誰かが誰かを声高に非難するのではなく、ただ、ただ、このような不幸な出来事が世界で繰り返されてはならない」ことを冷静に、節度ある展示で訴えていることでした。

 私は、核武装に狂奔する北朝鮮の指導者に、ぜひヒロシマ、ナガサキを訪問してもらいたいと思います。

 1991年にはアメリカ、ノースカロライナ州のグリーンズボロ近郊の地区へ、チームリーダーとして派遣され、「一生一度」体験をしました。次ページ以下にその体験を記してみます。